はじめに

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グースもできていないのに、また手の掛かる箱スカなんか買いやがって〜っ!!

という声が聞こえてきそうな今日この頃・・・(大汗)

だがスカイラインは、今の俺の原点ともいえる車なのだ!

その経緯を説明しよう!

 

車に興味をもちだしたのは、小学校低学年の頃だろう。

車が好きな兄貴の影響もあり、車にのめりこんでいった。

そして多分バイブルとなったのがこの本であろう。

「世界の自動車写真絵本」(昭和46年2月20日初版本450円)

もちろん子供が買ってもらった本なので、破れセロテープ落書きは当たり前(笑)

その当時、親父の会社(現グース秘密工場)では、日産のクリッパーというトラックを乗っていた。

そのために、日産プリンスの展示発表会などがあると案内が届いていたのだ。

そう!日産プリンスと言えばスカイラインの販売会社だった。

展示発表会に行っては中古車のエンジンをかけたり、スカイラインのグッズを買ってもらったり。

遠足よりもこのイベントが大好きだった(笑)今考えれば、変な小学生だったのであろう。

その時に買ってもらったのがこれだ。

憧れのGTRのキーホルダー!

もちろん小学生が鍵を持ち歩くわけもなく、振り回して遊ぶばかりだった(笑)

今はどうかわからないが、この頃スカイライングッズはかなりの数があったのだ。

トレーナー・シャツなどはもちろん、バッグ・傘・小物類など。

一種のキャラクターグッズのようだった。

それとこれ

SPIRIT OF SKYLINE(昭和52年3月5日初版本)

一時期とてつもない値段が付いたそうですね〜。

これを買ってもらう以前にも既にスカイライン馬鹿だったが、これをきっかけに拍車が掛かったのだ!

だが実際の話、本当に好きだったのはケンメリのGTRだったのだ(爆)

もう既にこの頃には、ケンメリのGTRは幻の名車とされ、中古車でも600万位の値段が付いていた。

小さいながらもこんな車は買えないって事は十分に理解していたのだ。

 

そして俺が小学5年になろうとしていた時のことである。

それまで会社の車(トラック・バン)しかなく自家用車がなかったため、車を買おうという話が上がった。

もちろん俺と兄貴はケンメリの2ドアGTXESしか頭になかった!

もう嬉しくて嬉しくて(爆)

だが、子供の夢はかなわなかったのだ・・・。

小さい町工場ではあるが、一応社長をやっていたこともあり、2ドアのスカイラインでは・・・と。

結局、知り合いがディーラーにいたこともありトヨペットクラウンを買うことになった。

どうしても納得できない俺は、クラウン買う代わりにスカイラインのスクラップでいいから家に持ってきて!

と営業マンに注文をつけたのだ(爆)

クラウンが納車され、その後箱スカの不動車が運ばれてきた!

当時の写真はないが、モスグリーンの箱スカ1500DXだった。

もちろんこの車が俺の遊び部屋になったのは言うまでもない(笑)

外装・ボディに大きな損傷のない車だったが、タイヤが回らなかったのだ。

ガソリンを入れてバッテリーを積んだらエンジンが掛かってしまったのだ。

休みの日などは一日中箱スカで遊んでいたのであった。

 

そうなんです!箱スカオーナーになったのはこれで2度目なんです!(爆)

 

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